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●代表者の紹介代表者:根本保 生年月日:大正4年8月18日生 血液型:AB型 中央大学法学部に学ぶ。山方村長、茨城県議会議員、茨城商工会議所副会長、山方町商工会議所会長、茨城県森林組合連合会会長等を歴任。 |
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| ●蔵の沿革・歴史 清酒「久慈の山」で知られる根本酒造株式会社は、風光明媚な奥久慈地方の山方町にあり、醸造元、根本家は代々この山方町で庄屋を務めてきた。 江戸前期の山方は、約470年間、54万石の大大名、佐竹氏の支配下にあり、1600年、関ケ原の戦いの後佐竹氏は家康によって秋田へ国替えを命じられたが、佐竹家の家老職であり、味噌、醤油などの醸造を手掛ける御用商人であった土佐の守根本義昭(根本酒造創業者)は、常陸にとどまって家業を伸ばそうと決意、慶長8年(1603年)酒つくりを創める。 文政元年(1818年)、一夜霊夢に感じて駒形神社の聖域に湧く神水を醸造に用い始め、一層芳醇さを増し、時の太政官布告により酒造の印許を得て一段と醸造に励み、改良を加え、銘酒「久慈の山」の名声は遠近に高くなり、明治、大正、昭和と激動の醸造界を一途、声価維持に不撓不屈の努力を続ける。 18代目、根本保は、町長と県議会議員を務め、現在社長。19代目、根本嘉朗は山方町長として務めた後、現在の専務取締役。20代目、根本朗裕は、国税庁醸造試験所第4研究室で研修後、現在常務取締役として全般に亘って指揮をとっている。 以上、現在まで約400年という長い間、連錦として「久慈の山」を醸し続けている。 |
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弊社、根本酒造は風光明媚な奥久慈記念公園の玄関口、久慈川の清流に臨む山方町にあります。雨からの恵みの雨が、奥久慈の山々に降り注ぎ緑の木々の中を通り、やがては地下水となり、蔵元近くの駒形神社に滾々と湧き出し、この仕込み水を元に「久慈の山」は醸されています。まさに「久慈の山」という銘柄は、奥久慈の美しい緑の山並みから自然に生まれたともいえるでしょう。 |
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